絵札だけのトランプ

わたしが住んでいる地方では、よく言えば集約化が進んだ、ということになるのですが、診療科によっては設置されている病院がだんだん少なくなってきている、という現実があります。
こんな表現のしかたは悪いのかもしれないけれど、わたしはいつもトランプを思い出します。とっても難しい病気の患者さんはキングです。けっこう難しい病気の患者さんはクイーンです。まあ難しい病気の患者さんはジャックです。そして病気は難しくなくても本人が難しい場合ジョーカーになります。どこの病院でも、わざわざ総合病院でなくてもいいコモンの病気の患者さんが一定数います。こういう方々はふつうの数字の札です。

集約化が進んだ、という場合、施設数が少なくなっただけで集約化前の総患者数・医師数と集約化後の総患者数・医師数が同じ、ということはまずなくて、患者さんは集約化されたけれど、医師数は微増しているだけ、ということが実際です。しかたがないので、コモンの病気の方を振り落とす(!?)しかありません。キングやクイーン、ジャックを振り落とすわけにはいきませんから。でも、コモンの病気だからといってジョーカーをふるい落とすことも絶対にできないのです。集約化された病院の外に災いをもたらしますから。結果として、絵札だけになってしまいます。

コモンな病気のふつうの人びとの診療はリアルな日常生活の延長上にあります。リラックスしてふつうの気持ちで接することができます。一方、難しい病気の方の診療はどうしても気が張って交感神経優位になります。交感神経優位であっても、一日のうち一定時間内で、あとはリラックスできればいいのですが。医学的脳を使用する交感神経優位の時間の後に待っているのが、社会福祉的脳(?)を使用する交感神経優位の時間というのはちょっとつらいです。

わたしが勤務している病院では、無保険のかたや3ヶ月国保のかたがいることがあります。無保険のかたの場合、検査をどこまで出すが悩むし、3ヶ月国保のかたの場合、なんとしても3ヶ月でかたをつけなくちゃ、となります。入院させたはいいけれど、身寄りから見放されて平均在院日数の敵になってしまったり、個室に入って警察が24時間待機なんていうかたもいることがあります。

ジョーカーも1枚や2枚なら平常心でいられます。でも、ジョーカー、ジョーカー、ジョーカーはつらいです。以前、知人の産婦人科のドクターが、「ふつうのいいおかあさんの正常なお産って心がなごむんだよね」と言っていたのを思い出します。

今日はちょっとぐちってしまってごめんなさい。

なかのひと