ベーゼンドルファーの妄想

ベーゼンドルファーが売却へ、という記事をネット上でみました。

わたしがずっと前に働いていた僻地の病院の講堂には、忘れ去られたようなグランドピアノがありました。誰かが弾いてあげることはあるのか、調律はしてあげているのか、忙しい日々の中、ちらっとだけ思ったけれど、深くは考えませんでした。

その後、何かの記事で山王病院にベーゼンドルファーがあって、患者さん向けのコンサートを開くことがある、というのを読みました。たぶん、山王病院のベーゼンドルファーは良い弾き手に恵まれ、きちんと定期的に調律を受けていることでしょう。
わたしの記憶にある僻地の病院のグランドピアノはたぶんベーゼンドルファーのような品ではなく、もっと一般的なピアノなのだと思うけれど、ピアノとして不幸な生涯を送っているのね、とちょっと可哀そうになりました。

そんなある日、有名なブログ「天漢日乗」さんのところで、「かわいそうなベーゼンドルファー」という記事を読みました。地方自治体で購入されてたぶん弾き手にもめぐまれないまま眠るベーゼンドルファー
本当に弾き手がないベーゼンドルファーが僻地もしくは僻地に近い自治体のあまり音響のよくない場所にあったら、その地にある公立病院に移してあげるのはどうでしょう。表向きは、患者さんのために定期的にコンサートを開く、なんていってね。

たぶん、どこの病院も元ピアノ少年のひとりやふたりはいるはず。アパートにこっそり電子ピアノを持っていたりします。
勤務する人がいなくて困っている病院さん、ベーゼンドルファーが好きなだけ弾ける病院、というウリにするのはどうかしらん。心ふさぐことが多い僻地の勤務の慰みになると思うし、いつも弾いてくれる人がいるというのは、ピアノにとってもうれしいはず。
僻地の病院の講堂で、夜遅く響いている沈める寺、なんて素敵でなくて。

なかのひと