10月のお天気の良い日に

10月のお天気の良い日には,思うことがあります.
わたしの実家の本宅は,4年前の中越地震震源地の近くにありましたの.
と,過去形.
わたしの両親は,父が定年になると,いったんは本宅に戻りました.本家だったから.
定年まで戻らなかったのは,本宅では父の学歴に見合った仕事がなかったから.
3年だけ暮らして,本宅を処分して,今は都会で生活しています.
「生まれた時からずーっと暮していれば暮せないところではないかもしれないけれど」
高校を卒業するときに田舎を出て,定年を過ぎてからもう1回田舎を出たのです.

近くの県立病院(地震のときは崩壊してしまいました)で,心カテができるように,という署名が回ってきたときに,むにゃむにゃと署名を断ってしまったわたしの母(←田舎でこういうことをしていいのでしょうか?).
母が言うには,「だって,ここでカテーテルができるってことは循環器のお医者が3人は来るってことでしょ.デパートも映画館もないようなところに奥さんつれてこれないでしょ.それではかわいそう.心筋梗塞になったら,○○か○○に運ばれればそれでいい.間に合わなければそれも運命」でしたが,今のわたしの実家のちかくには,とーぜんデパートも映画館も心カテのできる病院もありますの.

本宅を処分したあとに地震がきました.すごいタイミング.
地震の翌日はとても良いお天気で,わたしは両親の強運になんとも言えない感情を抱きました.

人生は損切りと塩漬けが肝腎.
本宅は損切りされてしまったのね.
定年になる前に本宅の庭に植えておいたブルーベリーの実がようやくたくさんつくようになったころだったのに,壊れる前に壊してしまった本宅.わたしは数えるほどしか行ったことがありませんでした.壊れる前に壊したので,記憶のなかの本宅は,田舎らしいのんぴりとした姿のままです.
県立病院に医者を,ではなくて,医者がいるところに自分たちが行ってしまったわたしの両親.
本宅が捨てられたのは,数年前ではなく,50年前なのかもしれません.

なかのひと