妄想プロット:段ボールの幻想

医局のラウンジでアイスクリームを食べていると,後ろで声がした.
循環器科のワタナベユウイチの部屋ってどこかしら?」
振り向くと,そこには,ワタナベくんに面立ちの似た,チャーミングな女の人が宅急便の段ボールを何枚か手にして立っていた.声を掛けられていたのは,研修医の子たちで,そのうちの一人が,ワタナベくんに似た女の人を,ワタナベくんのいた部屋へ案内した.
わたしは気になって,部屋へ行くことにした.

「あの,ひょっとして,ワタナベくんのお姉さんですか?わたし,大学の同級生で,腎内科の結城といいます」
「あら,あなたの話,きいたことがあるわ.むかし,振られたって.今日は,あの子の机の片付けに来たのよ.サマリーとかためていなかったなぁって.」
「机の横に,70センチほど」わたしはワタナベくんの机の横に積み上げられているカルテを指差した.
「ふふふ.あたし,○○医大の循環器センターで働いているの.ユウイチがどんな仕事をしていたのかなぁって.」
ワタナベくんの机はとてもごちゃごちゃしていて,片付けがいがありそうな机.引き出しのなかもたぶんごちゃごちゃ.鍵がかかっていないのが幸い.

ワタナベくんのお姉さんは,段ボールを4つほど組み立てると,机の上のものを,まずは大雑把に段ボールの中に放り込んでいった.病院の文書類,患者さんに関連したもの,文房具,明らかな不用品.机の上がだんだん見えてくると,いつ開けたのかわからないキャラメルの箱が出てきた.
「もし,時間があったら,この箱のもの,何とかしてもらってもいいかしら?」
わたしは,患者さんに関連したものBOXを任されてしまった.部屋の真ん中に置かれている古いソファの上で,わたしはその箱の中身を分類し,まとめていった.サマリーのコピー,検査伝票,保険の書類など.サマリーのコピーはシュレッダーへ,検査伝票は病歴室へ,まだ書いていなかった保険の書類は,となりの先生の机の上へ.

机の上がだいたい片付くと,次は引き出し.新品の年賀タオルとか,いつ使ったのかわからないタオルとか,歯磨き歯ブラシのセットの新品とか,いろいろ出てきた.
一番下の引き出しには,カップヌードルやふりかけが入っていた.
ワタナベくんのお姉さんはもうひとつ段ボールを組み立てた.食べ物用に.

新品のタオル,新品の文房具だけで,結構な量になった.
使いかけの文房具は,燃えるものと燃えないものに分けた.
食べ物は,封を切ったもの,賞味期限のきれているものはごみにしたけれど,おせんべいが1袋とチョコレートが2箱,カップヌードルが4つ残った.
カップヌードル,研修医とか,食べるかなぁ?」ワタナベくんのお姉さんはそう言ってすぐ,「でも,食べたくないよね」と言い直した.

引き出しの中が片付くと,次は本棚.
ワタナベくんのお姉さんはいくつかのテキストを抜き出して段ボールへ.それ以外は,処分することにして,二人で医局のラウンジにある廃棄書類コーナーへ運んだ.お姉さんがピックアップしたテキストは段ボール1箱分.隙間には,新品のタオルを詰め込んだ.
文房具や食べ物のうち,使い勝手のよさそうなボールペン何本かと,おせんべい,チョコレート以外は,結局ごみとして処分することにした.

ワタナベくんのお姉さんは,最後に病院の文書類の取捨選択をした.くちゃくちゃになった給与明細を見つけるとふーん,という顔をしていた.庶務課から毎月届く「あなたの先月の時間外勤務は80時間を超えました,産業医の面接を受けましょう」なんて書類を見つけたときには,少し涙を流していた.

ワタナベくんの持ち物は,どんどん処分されて,結局段ボール1箱分だった.
ため込んでいたサマリーは,わたしが部長の机の上に移動させた.
浅い引き出しからは,病棟のバーベキューのときの写真が何枚か出てきた.わたしが写っているものが1枚あって,それはいただくことにした.
「お礼,っていうのもなんだけど,食べて」とチョコレート2箱ももらった.

ワタナベくんは,先週,病院のアパートで冷たくなっているのが発見されたのだった.
いつも寝坊のワタナベくんではあったけれど,9時半をすぎても病院に来ないので,不審に思った部長と庶務課の人がアパートへ行って,ベッドの中で息をしていないワタナベくんを発見したのだった.

わたしはワタナベくんのベッドで寝たことが2回だけある.あんまり洗濯していなさそうな,ちょっとへんなにおいのする湿っぽいシーツをよく覚えている.そんな冷たいシーツにくるまれて,たったひとりで死んだのかと思うと,胸がいっぱいになる.
「men for others」ワタナベくんの卒業した中学高校のモットーの話を,ワタナベくんから聞かされたことがある.かっこつけてるみたいだけれど,この言葉が好きだ,と.
死んでしまっては,他の人に何もしてあげられないのよ.

ワタナベくんのお姉さんと二人で,医局のラウンジでおせんべいを食べながらお茶を飲んだ.今日は2部透析の日.目の前にすることがあってよかったと思った.

なかのひと