妄想プロット:クリスマス・カードの幻想

クリスマスが近くなると,毎年思い出す.
クリスマス・イブの夜には君の声がききたい,と書かれたクリスマス・カードを.

私は大学を卒業して2回目のクリスマスの頃は,大学から遠く離れた関連病院で働いていた.今だったら,相当優秀な学生でないとマッチングされない人気の研修病院のようだけれど,私は単に,医局人事ということでその病院へ行かされた.
強気の病院だったので,お給料は安く,院内用のペイジャーが鳴ってしまうような,病院の横のアパートに住まわされた.

仕事が終わると,いつも一人で,すかいらーくで食事をとった.あるいはモス・バーガーでテイクアウトを買ってきた.カロリーの高そうなものを食べても食べても,ぜんぜん体重はふえなかった.夏の頃から生理は止まったままだった.
大学院の3年目で病棟フリーとなったヨシキからは,何回も手紙がきたけれど,返事を出した記憶はない.
電話は病院の内線電話だったので,留守電の設定もできなかった.今みたいに携帯メールがあったら,もう少しつながっていられたかもしれないのに.

クリスマス・イブの夜,サマリーを書くために残っていると,ペイジャーが鳴った.
午前中に気管切開をした患者の切開口から出血している,と.
病棟に行くと,ナースが吸引を続けていた.
私ではどうにもならないので,耳鼻科のドクターを呼び出すことにしたが,15分くらいかかる,といわれてしまった.
病室のドアの向こうに看護学生たちの聖歌隊の歌声が聞こえる.夕方,ガウンとかろうそくとかを用意してはしゃぐ声をきいたけれど,それの本番.

耳鼻科のドクターが病室に現われたときは,涙がでてしまった.彼は手際よく止血をして,もう大丈夫,と言って,新しいポーテックスを患者の気切孔に入れた.
ひと段落してアパートに帰ると,着ていた服のまま寝てしまった.寒くて目が覚めると,朝の5時だった.
クリスマス・イブは終わってしまった.
小さな冷蔵庫の上に置かれたクリスマス・カードを見て,ヨシキのことを思った.
とっても疲れていたし,仕方がなかったのだから,許して欲しい,と思った.
電話もかけなかったし,手紙も書かなかった.

2病棟合同の忘年会のあと,外科のレジデントが私をどうしても送っていく,と言い張って,そのまま送り狼になった.病院のアパートで大声をあげるのもなんだかとてもイヤだったし,抵抗するのも面倒だった.彼は,ずっと前からキミのことが好きだった,と私に言った.私はずっと,ヨシキのことを考えていた.私は本当にヨシキのことが好きなのだろうか.

クリスマスが過ぎてから,ヨシキからは,電話も手紙も来なかった.
バレンタイン・デーには仲直りのためになにかプレゼントを,とも考えたけれど,なんだか今さらのような気がして,やめた.
ヨシキのラグビー部の後輩から,彼が留学することになった話をきいた.
私が大学に戻るのと入れ違いでアメリカに行くことになったヨシキ.
病院の廊下ですれ違うこともないかと思うとほっとした.

今,PubMedでヨシキの名前を引くと(結構珍しい苗字なのですぐ引けてくる),彼の輝かしい業績がずらっと並ぶ.
Googleでヨシキの名前を引くと,現在の彼に会える.写真の中の彼の表情はいつもとても生き生きしていて,自信たっぷりに堂々と振舞っている姿が想像できる.
彼の学年では,たぶん出世頭.そしてもう,日本には戻ってこないような気がする.

私の名前は平凡だし,ある程度絞り込まないと,Googleで見つけることはむずかしい.ネット上に写真はないと思う.PubMedでは1件しかたぶん引っかかってこないはず.私は記憶の中だけにそっと埋もれていられる.

なかのひと