患者移送の思い出

わたしは人生において,2回ほど,大々的な患者移送を経験しました.いずれも病院移転に伴う平常時の予定移送でした.

2回とも地域の基幹病院で,移転に伴う機能停止はまわりの病院にもだいぶ負担をかけています.1週間強の外来休診を設けました,入院患者についても,移転の1週間前には予定手術をいったんなし,として,周囲の病院にお願いして一定期間は入院制限をしました.入院患者数を平常時の半分程度にして,移転に備えたのです.産婦人科は分娩制限を行い,移転前後に出産予定日が来る分娩はないはず,で移転に備えました.
片方の病院では,移転前の日曜日をつぶして,患者移送のリハーサルまでする念の入れようでした.

当日,どちらの病院でも,近隣の市町村の救急車たちが病院に大集結しました.自分で歩ける程度の患者さんのためには,大型バスがチャーターされました.
移送のいちばん先頭はNICUの赤ちゃんでした.そして,妊婦.それからICUなどの患者さんだったような記憶があります.誰が送り出して,誰が救急車に乗り込んで,誰が新病院で受け取るか,しっかり計画ができています.
もちろん移動の経路についても,ばっちり計画ができています.
片方の病院では,大型バスで移動する患者さんには,ゼッケンが付けられましたわ.

予定された移送で職員がたくさんいて,車両がたくさんあって,道路は確保されていて,それでもタイヘンなのです.無事終わってヤレヤレ!なのです.

療養型の病院や単科の精神病院では,職員数はもともと多くはありません.そんな中で,移送がうまくいかなかったと,マスコミに責められた病院の話に,涙がでました.

移送どころか,病院内を動かすだけでも大変だったはず.
被災地の病院では,エレベーターが動かない状態で,2階や3階からどうやって1階まで患者さんを下したのでしょうか.屈強な自衛隊員が担架持参でたくさんやって来て,病院職員は横で患者さんの顔をみながら点滴を手で持っていればいいだけ,の状況でもない限り,物理的に困難な気がします.

マスコミの人って,寝たきりの人をどのように移送するかについて,想像ができないのかしら.とても気の毒なことです.