「朽ちていった命」の書評に思う

今,話題になっている書籍「朽ちていった命」.
わたしはこの本をもう何年か前に読みました.で,もう一度読み返そうかな,と思ったけれど,すでに処分した後でした.そして,昨日,書店で新たに買い,一気に読みました.
インターネット上には,様々な人が書いている,この本に関しての書評や感想がたくさんあふれています.
その中には,残酷な延命治療を続ける医療者に倫理観はあるのか,という口調のものがあります.
当時,実際に治療にあたった人々がこれらの文章に接したら,たぶん,涙を流してしまうのではないかしら.
やめたくてもやめられない治療というのが,この世の中にはたぶんあるのです.

たとえば,医学的な予後および観た目の残酷さ,という意味で,全身熱傷と皮膚の悪性リンパ腫は双璧です.感染症や循環動態の管理をしながら(これは頭を使う),毎日毎日ぐちゃぐちゃになるガーゼを1時間がかりで交換する(これは肉体労働の最たるもので,患者さんのにおいが体に染みつきます)必要があり,でも,多くの場合勝ち目はないのです.

皮膚の悪性リンパ腫の場合,病悩期間は何年〜何十年にわたるので,比較的元気なうちの本人の希望,家族の希望などから,最後はsupportive careにして,苦痛を取り除くことを最優先とすることができます.
全身熱傷の場合,最初から本人の意識はないので,どこまで延命するかは,家族との相談となるわけですが,実際は,結構難しいのです.
焼身自殺の方や,もともと問題飲酒を繰り返していたおじさんが酔っぱらってサウナで寝てしまいました系の場合は,本人の苦痛のないように,という方向へ比較的すんなりといきます.ただし,火事の巻き添えや労災など,「本人は悪くないのにこうなってしまった」場合,どうしてもとことんコースが選択されることが多いような気がします.

勝ち目がないとわかっていても,それを家族や本人が受け入れるまでの時間はどうしても必要です.やがてくる死を受容するまでの時間は,急に身に振りかかってしまったこと,自分のせいではないこと,においてはどうしても長くなってしまうのです.その時までに人工呼吸器が装着されていたら,今の日本ではもう止めることはなかなか難しいです.

「朽ちていった命」の事例については,ずっと昔の学会のクローズドなワークショップで,データや臨床写真をたくさん見せていただきました.そのときは魂が抜けそうでした.
今回,久しぶりにこの本を読んで,「トレックスガーゼ」とか「ペントキシフィリン(今は幻のトレンタール)」とかの単語や,当時の最新兵器としてのリアルタイムPCRとかの記述を目にすると,とても昔の話の様に感じます.HHV-6も含めたsequential reactivationについてまだよくわかっていなかった時代の話なのだと思うと,なんだかぐっときてしまいます.そして,この事例の患者さんは,本当に身をもってわたしたちに多くの知見を与えてくださったのだと思うと,とても申し訳なく,ありがたく思います.