興業システムに思うこと

リピートしてきましたの,平成中村座
わたしの心を一番とらえたのは,関の扉.
この舞台はこの世の中に21回しかないのだと思うとせつなくなるくらい素敵な舞台でしたの.
菊たんの墨染はそれはそれはこの世のものとは思えないアヤしい美しさでしたわ.でも,お声が大変なことになっていました.
ガラガラ声.でもしゃべらないわけにはいかないので.
しばらく声を出していると,少しはいい声になるのだけれど,セリフで間を置くと,次の第一声はやっぱりうまく出てこなかったりしましたの.
まあ,中村座は昼か夜かどちらかがお休みの日もあったけれど,毎日は出ているわけで,風邪をひいても休めないし,お喉がどんなに痛くても,声を張り上げないわけにはいかないし.


舞台をみながら,わたしはずっと昔の超絶僻地病院の一人医長をしていたときのことを強烈に思い出してしまいましたの.
それはお正月明けの寒いころで,わたしは風邪をひいたのでした.替わりはいないし,わたしが風邪をひいても入院患者の人々は入院したままだし,突然休診にしたら,100人からの外来をどうさばくのか想像もできなかったし,当時の医局の状況では代診を頼んでもたぶん返事はノーだったと思うし,ということで,座薬でお熱を下げながら,仕事を続けましたの.
喉が痛いのに朝からずーっと喋りっぱなしなので,あっという間に声が枯れてしまいましたの.でも,翌日も翌日も喋りっぱなしでいなければならないので,ついには声が出なくなってしまいましたの.最後には,息だけでひそひそ声のように喋ると,看護婦さんが大きな声で言い直してくれる,という形で外来を進めました.風邪が治って声が再び出るようになったのだけれど,しばらく,元の声には戻りませんでしたの.
「やー,のりちゃん,ハスキーでセクシーな声だね」などとオヤジ医者に言われてもうれしくはありません.1週間たっても2週間たっても声は戻らなくて,もうわたしの声はこのままなのかしら,と.わたしは何のためにこの仕事を続けなくちゃならないの?と.気持ちは真っ暗でしたわ.
でもあきらめているうち,気づかないうちに声は戻り,以前と同じきんきんうるさい声のわたしにかえりましたの.今から思うと,耳鼻科にかかってリンデロンネブライザー(?)とか受けていればよかったのかしら,なんてことも考えるのだけれど,じゃあ,その当時のわたしにネブライザーを受ける時間ってあったのかしら?耳鼻科の診療時間はわたしも仕事中だし.


わたしの声がだめになってしまっても,日本中で悲しんでくれる人はたぶん5人以下.でも,菊たんのお声はかけがえのない絶対だめになってはいけないものなのです.
なので,チケットが多少お高くなってもいいから,週に1日は劇場お休みにしてくださいな,松竹さん.でも,今よりチケットがお高くなると,お客の入りは悪くなってしまうかしら.


ところで,今月はいろいろなところでお芝居がかかっているのに,福助橋之助のおふたりさんはどこにも出ていませんわいなぁと思っていましたが,ひょっとして,すべてのお芝居の役者さんに病欠とかが出た場合にそなえての女1男1のスタンバイなのかしら?