花瓶の水アカ取り

ガラスの花瓶に水を入れたままにしておくと,水の中のミネラルが析出して,水アカラインがついてしまうことがありますの.
ひょっと思いついてしてみたら,とってもラクチンで綺麗になりました.
★用意するもの
ポッカレモン100
お化粧用コットン
★水アカの落とし方
お化粧用のコットンにポッカレモンを化粧水のようなかんじで振りかけます.
さっさっさっと拭いてできあがり.

ビネガーよりもポッカレモンの方がよく落ちる印象です.
わたしのおうちの冷蔵庫にはレモンがない時用にポッカレモンを常備してあるのですが,開けたからといって,なかなか使い切らないことが多いのです.なので,開けてからしばらく経ってしまったポッカレモンは,このような役目をになうことになったりするのです.ポッカコーポレーションさん,ごめんなさい.
お化粧用コットンは,こういう用途にはユニ・チャームのシルコットうるうるスポンジ仕立てがベストかも.ザ・ギンザの高級コットンよりも少ない量のポッカレモンでキレイになりますわ.

獅子のひみつ

サントリー美術館の「鳳凰と獅子」に行ってきましたの.
用事があったので,カフェに寄れなかったのが残念.
文殊菩薩が獅子で普賢菩薩が象とか,鳳凰は竹のしずくを飲む,とか,いろいろ教養がつきました.というか,こーんなこともわたしは知らずに生活をしていたのね,というかんじ.
お品のひとつひとつがすごくて,当時のこれを作らせたひとの権力や財力は,とてつもないものであったことがよくわかります.

ちなみに,演舞場にエビゾーさんの鏡獅子も観に行ってしまいました.エビゾーさんの獅子は今にもガオー!といって噛みついてきそうなかんじでしたが,わたしは菊たんのうっふん弥生たん&おぎょうぎの良い獅子くんのほうが好みですわ.かわいらしいお子様胡蝶を見ながら,右近たん&梅ちゃんのやけに踊りの上手な笑わん胡蝶を妄想してしまいました.

L’amour Fou

サンローランの映画,L'amour Fou.
これを観て,この偉大なデザイナーについていろいろなことを初めて知りました.
本物の調度品,おびただしい数の本物の美術工芸品に囲まれた,ハンサムなイヴ・サンローラン・自室に彼がいるだけで,どんなシャネルやグッチやエルメスの広告よりカッコイイのが凄すぎです.

かっちりマネージメントするパートナーあってこその表現者
引退のときの彼が,年齢以上に不健康そうで,ぐっときてしまいました.

何回も観に行ってしまいそうな気分.
エンドロールで蛇の図柄が印象的でした.

美術館まで

ラフォーレ原宿で始まったヘンリー・ダーガー展へ行ってきましたの.
4年前の原美術館と比べて,ちょっとお手軽でしたわ.

原美術館はわざわざ行くところで,建築自体が楽しめるのが素敵.駅から歩いて,お庭があって,という場所です.でも,結構歩くのがちょっと大変.
それと比べてラフォーレミュージアムは駅から1分.お店の最上階にあってデパートの美術館のようなかんじ.わざわざ予定を組まなくても,ちょっとお出かけすることができます.

会場を出てしばらくしてから,なんだかもやもや感が続いていたのだけれど,おうちへ帰ってきてから,ああ,と思いました.日常から切り離されるためのプロローグとエピローグがないからなのね.
駅から歩く道があって,お庭があって,建築がある.そしてそれから,作品と出会う.お茶でも飲んで,帰り道を駅まで歩く.これってとても重要なことだ,と今更ながらに気付きましたの.
そして,それからすると資生堂ギャラリーってすごい!と思いましたわ.ビルの地下にあって,あんなお手軽な場所なのに,会場に着くと非日常になるのです.それは,あの,とても地味な入口と,地下へ吸い込まれていくような素敵な階段があるからです.たった1分で気持ちが切り替えられるのです.限られた条件であれだけの効果を上げるなんて凄すぎです.

「朽ちていった命」の書評に思う

今,話題になっている書籍「朽ちていった命」.
わたしはこの本をもう何年か前に読みました.で,もう一度読み返そうかな,と思ったけれど,すでに処分した後でした.そして,昨日,書店で新たに買い,一気に読みました.
インターネット上には,様々な人が書いている,この本に関しての書評や感想がたくさんあふれています.
その中には,残酷な延命治療を続ける医療者に倫理観はあるのか,という口調のものがあります.
当時,実際に治療にあたった人々がこれらの文章に接したら,たぶん,涙を流してしまうのではないかしら.
やめたくてもやめられない治療というのが,この世の中にはたぶんあるのです.

たとえば,医学的な予後および観た目の残酷さ,という意味で,全身熱傷と皮膚の悪性リンパ腫は双璧です.感染症や循環動態の管理をしながら(これは頭を使う),毎日毎日ぐちゃぐちゃになるガーゼを1時間がかりで交換する(これは肉体労働の最たるもので,患者さんのにおいが体に染みつきます)必要があり,でも,多くの場合勝ち目はないのです.

皮膚の悪性リンパ腫の場合,病悩期間は何年〜何十年にわたるので,比較的元気なうちの本人の希望,家族の希望などから,最後はsupportive careにして,苦痛を取り除くことを最優先とすることができます.
全身熱傷の場合,最初から本人の意識はないので,どこまで延命するかは,家族との相談となるわけですが,実際は,結構難しいのです.
焼身自殺の方や,もともと問題飲酒を繰り返していたおじさんが酔っぱらってサウナで寝てしまいました系の場合は,本人の苦痛のないように,という方向へ比較的すんなりといきます.ただし,火事の巻き添えや労災など,「本人は悪くないのにこうなってしまった」場合,どうしてもとことんコースが選択されることが多いような気がします.

勝ち目がないとわかっていても,それを家族や本人が受け入れるまでの時間はどうしても必要です.やがてくる死を受容するまでの時間は,急に身に振りかかってしまったこと,自分のせいではないこと,においてはどうしても長くなってしまうのです.その時までに人工呼吸器が装着されていたら,今の日本ではもう止めることはなかなか難しいです.

「朽ちていった命」の事例については,ずっと昔の学会のクローズドなワークショップで,データや臨床写真をたくさん見せていただきました.そのときは魂が抜けそうでした.
今回,久しぶりにこの本を読んで,「トレックスガーゼ」とか「ペントキシフィリン(今は幻のトレンタール)」とかの単語や,当時の最新兵器としてのリアルタイムPCRとかの記述を目にすると,とても昔の話の様に感じます.HHV-6も含めたsequential reactivationについてまだよくわかっていなかった時代の話なのだと思うと,なんだかぐっときてしまいます.そして,この事例の患者さんは,本当に身をもってわたしたちに多くの知見を与えてくださったのだと思うと,とても申し訳なく,ありがたく思います.

妄想の男女三人道成寺

地震のあと,ずーっと心が晴れなかったのだけれど,ワンピースを買って,菊ちゃんを観に行って,元気が出てきたわたし.さよなら,諭吉くんたち.


男女道成寺菊之助さまは,それはそれは美しくて,ただようエロス,いい匂い,というかんじでした.とてもなまめかしくて,禁断の世界です.菊之助はお母様と寺島和康の作品なのね.
そして,玉菊の二人道成寺は,きっともうないのね,と思ってしまいました.若くて硬質の美しさの花子ではなくなったから.

左近役の松緑さんは,魅力的なおどりだったのだけれど,最初の桜子の姿がちょっと凄くて(お着物がぱっつんぱっつんで......ごめん),どう考えてもあんた桜子じゃないでしょ,だったので,せっかくだったら,昼の部:松緑「奴道成寺」,夜の部:菊之助京鹿子娘道成寺」ってどうよ,と思ってしまいましたわ.でも,それでは,演じるひとびとの負担が大きすぎるのかも.

所化のなかでは,梅枝くんが抜群にいいかんじだったので,ちょっと妄想してしまいました.
白拍子花子:尾上菊之助
白拍子桜子ジツハ狂言師左近その1:中村梅枝
白拍子桜子ジツハ狂言師左近その2:尾上右近
花子がちょっと年増で,左近はちょっと少年,という設定.左近2人の中では,左近1がちょっとお兄さんなのね.この二人なら,初々しい桜子であり,中性的な左近であり,菊ちゃんのなまめかしさがさらに強調されそうです.

さあ,月曜日から,仕事仕事!ですわ.

あっ,ちなみに梅枝くんは「もしかしたらもしかしたら菊たんがインフルエンザになって2日くらいお休みするかも.そうしたら.......」なんて考えて,こっそり白拍子花子のおどりのお稽古もしている,なんてことも妄想してしまいましたわ.

いつもの日常

3月11日を境に,街がうす暗くなりました.
品のないネオンサインが消えたのはいいけれど,歩道も暗いのでした.
地下鉄の駅はうす暗く,エスカレーターが軒並み止まっているので,階段が大変です.春になったのに,軽やかなヒールの細いハイヒールを履く気にはなれないかんじ.
ロービジョンとか足が悪い人は,お出かけがしにくいのではないかしら.

わたしは水道水を飲んで,いつもと同じものを食べるようにしています.でも,なんだか,気分が暗いまま.
知恵と少々のおカネがあればとても楽しい東京がなくなってしまったから?
3月11日を境に,元気が出ないのです.

今月は,菊ちゃんの「男女道成寺」を観にいくことになっています.それはたぶんとても美しい舞台だと思うので,舞台を観たら泣いてしまうかもしれませんわ.